緩衝材のようなひと、潤滑油のようなひと
緩衝材になるひとは、どんなときでも、どんな人からの発言があっても、自分の言葉で、思いを返してくれる人だと思う。
その人自身のスタンスがぶれずにしっかりしていないと、その存在にはなり得ない。
「気を配れる人」や「相談役」も緩衝材の役割になるけれど、その人自身が精神を削って、相手に合わせた言葉を紡ぎ出すのは真の緩衝材ではないと思う。
潤滑油になるひとは、必要な人に、必要なタイミングで、必要な言葉を紡ぎ出して投げかけられる人ではと思う。
グループ内の人間関係がうまくいっているときも、そうでないときでも、職場に余裕があるときでもそうでないときでも、進むべき方向に進みやすいように背中を押してくれる人。
「気を配れる人」というのはこっちに当てはまるのではいかと思う。
正直、二者の違いはまだはっきりとは言い分けられないけれど、明らかにとてつもなく緩衝材だな、と思う人が職場にいる。
その人は、どんな立場にある人とも自然と会話ができる。どんな相手でも同じような態度でリアクションがあるから、相手が安心して話をできる。
たとえば、上司とも気兼ねなく会話して冗談を言ったりする。普通(というと語弊があるかもしれないけれど、大多数の人)の人から見ると、ちょっとフレンドリーすぎるのでは?と思える時もあるけれど、きっと上司からすると嬉しいフレンドリーさの距離感なのだと思う。
一方で、少し変わった癖のあるタイプの人に対しても、普通の人は距離をとってしまうところを、そこも分け隔てなく会話をする。むしろ会話を楽しんでいる。
同時に「この発言はおかしい」とか、「ちょっと変わってるな」と感じる感覚は普通の人と同じものを持ち合わせているから、こちらにしても、その人とは職場の愚痴をこぼしながら共感し合えるのである。
日頃からこの人の様子を見ていて、なぜこんなにも緩衝材たる振る舞いを自然にできるのか!と感心しながら、そのヒントを探しているこの頃なのです。