女性と男性の感覚の違い
先日、あるプロジェクト作業の1つとして、男女の20代大人でインタビューや自己の経験をふまえて1人の中学生男の子像(ペルソナ)を作り上げました。
すると、ある男性の方から「チームは女性主導でされていましたか?作られている人物像のエピソードから女性的要素が見える。」と指摘がありました。
なるほどすごい、たしかに、チームは女性の方が多かった。
「あるある・いるいる」と思われる、中学生男像を作り上げたつもりが、それでも、いくつかの文章とエピソード内容からそれが感じ取られるとは、と衝撃を受けました。
企業ではダイバーシティ(多様性)の取り組みが進められている今日。
今回のように「その人になったつもり」でニーズを考えたり、思考を覗き見たりしようとしても、完全に寄り添えるには至らないこともあるのだと感じ、より一層、ダイバーシティ推進の大切さを感じました。
男女のみならず、障害者や外国人もしかり。
障害者といっても、身体・精神・知的とそれぞれでカテゴリーは細分化されるし、身体障害も様々。
外国人だって、国籍や年代などそれこそ百人百様。
逆に言えば、必要な配慮事項が違っていても、生活をするという部分で共通するコアな感覚もあるのだろうと思います。
別世界の感覚だと壁を作って、「特別な配慮」のイメージで固めてしまうよりも、まずはコアな部分を見つけて、共有・共感していきたいなって思いました。